あーしゃんの日記 › 2014年12月

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束縛は愛なのか!?

2014年12月23日

なんですかねぇ。。
こういうことを、いちいちデータにする必要があるんですかい!?と言いたくなりますわね。
まぁ、裏返すと、こういう世の指針(!?)をしらしめなければ、自己中心的なところから来る、先日の「デートDV」などに繋がる恐れもあるので抑止にも役立つ、ということなんでしょうかねえ!?
それは置いておいても、この許せる許せないは難しい問題ですわね。
まあ男女共にそうですが、その度合いによって束縛となるか、愛が足りないと捉えられるかは紙一重ですからね~。。

色々と思い出しますわ。
懐が深くなきゃ(寛容じゃなきゃ)愛する女性は離れてしまう、窮屈になるだろうと思ってあれこれ気を使い、それなりの交友関係もあろうかと行動にもある程度理解を示していると相手の恋人は、“わたしのことを真剣に愛してない”との見解。
どこかの段階で「いい加減にしろ、俺という存在をどう思ってるんだ!」と言って欲しかったんですわね。
また、わがままな態度や行動をその時々で叱って欲しかったりもした、と。
なるほど、冷静に考えれば確かにそういう考え方もある。
女性というのは男性から見れば、ある意味そういう理不尽な要素を持ち合わせている動物なんだな、と理解するようにしたのであります。

ところが、恋人が変わりその辺を反省しつつ、これまでよりも多少束縛の度合いを強め、あまり溜め込まずリアルタイムで物を言うようにすると「口うるさい、わたしの行動を縛り付けるなんて愛していない証拠!」なんですと。

もうね、やってられませんです、ハイ。

しかも、こういう例をまた別な女性に言うと「女は気まぐれなんだから、男はその辺を瞬時に読み取って合わせていかなきゃだめなのよ......」
ですと。。

ひ、ひぇ~~~~!! なんとまあ.......
そりゃあ合わせることもそれなりに必要だろうけどさぁ。
そういう気まぐれを堂々と肯定するのかい。ってぇと何かい、そういうのにあくせく神経を使う背景や男の労力というのは貴方にとっては当たり前のことと簡単に片付けてしまうのかい!と言いたくなってしまいましたわね。

まあ確かに、簡単に言ってしまえば「相手によりけり」でもあるし、「女はわがまま」ということを前提にしなければ世の女性を操ってはいけないという言い方も出来ないとは言わないけども、である。

とはいえ、もう少しねぇ、そういった男の涙ぐましい配慮ってぇのも理解してよろしいんじゃなくって??
何にも考えないでその時々で理不尽な束縛をする男もいると思いますがねぇ、結構男も気ぃ使ってるんでございますよ。。。。

んでもって、この項目にある「許せる範疇」っていうやつですが.....
泊まらせる、二人きりで旅行に行くなどといったことは当たり前に許せないことじゃあないですかい。ww
そういう倫理的な!?常識的な範疇以外は、大人になれば、ましてや交友関係や仕事関係など自分と環境が違った中で生活している相手ならば、それ相応にあるんじゃあないですかねえ??
そんなことにいちいち目くじらを立てていれば、幾つあっても体が持ちませんってば。。
う~む、逆を言えば、それだけ恋愛に対する体力も低下してきたということなのか........!?
悲しス。。。。。。。。。。。。   


Posted by D10催情剤 at 12:21

デートをサボる、すっぽかす

2014年12月17日

今までデートを何回したろうか?
数えている人もいないだろうが、勿論自分で記録はつけていたが正の字を書いて回数を数えたことはない。

世の中には結構、男女に限らずこのデートをすっぽかす人がいる、らしい。
お客との打合せなどは前の用事が済まなくて、遅れたことはあるが故意にすっぽかしたことは、ある。
余り相手にのめり込まないようにわざと四の五の言って、ドタキャンに近い形で断ったことはある。
然し、デートをすっぽかしたことはない。
当たり前だろう、デートほど楽しい用事はそうそうにないからサボる理由がない。

タダ、世の中には変な人もいて別に嫌いになった訳でもないのにデートをすっぽかすと芸当を平気でやってのける人がいる。
これはどう言う神経なのだろうか?

確信犯的にデートを忘れる、忘れていないのに行かない、かと言って別れたい訳でもない。
すっぽかされた方は怒るけど、別にそれが理由で別れるような事態にはならない。
それでも当座はそのことで揉めるし、〝別れる〟と言うのを訊いたことがあるけれど何日かすると今まで通り普通にやってる。

小生にはこう言う神経がないからサッパリ分らない。
そんな騙し合いのようなことをしてまで付合い続けるのが分らないし、その意味が理解できない。
ゲームなら2人で神経衰弱でもしてろと思うが、そう言う出来事を自慢話のように話す奴がいた。
いつの間にか結婚して、子供も出来て好いパパしているらしいと話には訊くが余計にその前の面倒な手続きとそれに要する時間やカネや考えてよくも結婚するなと思う。
それともそれは良く言う〝オリコミズミ〟ってことなのだろうか。   


Posted by D10催情剤 at 15:48

免許証更新

2014年12月10日

今日は休みをもらい免許証の更新へ行ってきました
念願の?最寄り警察署での楽々更新です
いままでここ数年(数年ではないな…)違反があり私の住む草加から鴻巣まで
それはそれは大変で前回の更新から頑張り(一度違反がありますが)この日を
時間のかからない警察署更新なのでついでに警察署経由病院にも寄れて助かりました

いつもの朝一で警察署へ行き受付前から並びまして
早々来る高齢ドライバーさんのお話の相手をしながら先頭で受け付けできました
それにしても警察署でしかも早い時間のせいなのか高齢ドライバーの多いこと
「返納はしたくない」口々に話されていまして理由は「自転車で買い物が嫌だ」とのこと
まぁ草加市ですから公共交通機関がちゃんとあっても車が主であった頃からのドライバー
なかなか自転車やバスや電車はとのことでした
とは言え返納も結構増えているのだそうで代わりの運転経歴証なるものもあるそうです

で、写真 前回と今回少し笑ってみましたが今回は前より笑顔?っぽく(目線でわかりずらいか…)

短い(これも免許センターとは違うなぁ)講習後早々交付
あ、その前に手数料納付の時に言われたんですよね
「一度違反があるので5年の「青免許」です」と…いやわかってはいたのですが残念

そ、そして写真を見てください!これだけ痩せたんですよ!
「え?そお?あまり変わってないなぁ」と痩せてから会って(痩せる途中も)私に言った貴方達!
こんなに違うじゃねーか!私も写真見てびっくりです!戻らないようにしないと…

そして帰りは病院へより点滴と電気と牽引のフルセットで帰宅です
今(今日だけ?)点滴が効いてとても楽だぁ

  


Posted by D10催情剤 at 17:52

我慢と忍耐は似てるけどどこか違うような

2014年12月05日

幸福追求には精神の安定が不可欠。言い変えれば、不安定なときは何やってもことごとく外しまくる。幸福追求に優劣はないと思うが、精神の安定に資する行動を最優先に行うべき。まず、仕事を溜めない。課題は最優先順位で休むことなくこなす。仕事は忙しいからといって償却できないため、期日が近づくほど精神に悪影響を及ぼす。また、学習は迅速にこなす。中断しない。事実に集中できているときならともかく、何らかの事情で評価に気をとられていると、再開の足取りが重くなる。それもまた精神に悪影響を及ぼす。あとは、1時30分から7時まで以外の睡眠をなるべく遠ざけること。過度な睡眠は、悪影響。仕事や学習だけでなく、武道に対する影響も同様。時間が空けば空くほど、再開時の精神不安は事実上大きくなる。睡眠だけでなく、排泄や食事の中断も同様。思考侵奪も同様。つまり何がいいたいか。精神安定との調和の観点から、忍耐が必要なことの方が多い。以上のように、止まっているより継続する方が安定することが通常。どれだけ、エコモードで継続し続けられるか。繰り返すが、精神不安が何よりもやっかいなことを知っているからこその、忍耐だ。息の切れる感じからの解放感も喜びだしな。

 1204②(姿勢・過去と比較しない):じぶんは、「今、じぶんが何を考えているか」でわかる。だったか。エマソンとか、エウレリウス?だったかもそんな感じのコトを言っている。と、この前読んだカーネギーの著書にも書いてあったような。ぼくは、じぶんが思考侵奪状態から覚醒した時、何を考えていたか思い返すことにしている。例えば、うまくいっている時、過去からの伸びしろを図って喜んだりしている。論外。今のじぶんが事実であって、それ以外はない。仮に、今のじぶんが強いとしたら、それは当然のことなのだ。そんなことを鼻にかけるなんてくだらない。それは逆も然りで、うまくいかない時、過去がどうだったとか、考えるのも論外。仮に、今のじぶんが弱いとしたら、それもまた当然。冒頭のそれとの関係で、何が言いたいのかといえば、過去との比較なんてするなと。今をただ、喜べと。ぼくは生きていると同時に、死んでもいるわけだが。得るたびに生は安らかになり、失うたびに死は安らかになる。変化なんてどうだって捉えられるんだから、過去がどうだとか、どうだっていいんだ。寸分の思考すら、つまんないことにつかうなよ。
  


Posted by D10催情剤 at 11:38

虹の岬の喫茶店(ネタバレします)

2014年12月05日

森沢明夫著「虹の岬の喫茶店」を読みました。吉永小百合主演「ふしぎな岬の物語」の原作です。映画を観て、いい映画だとは思ったのですが、設定が不明な部分も多く、そのあたりが確認できたらと思い手に取りました。

 初老の女性・えっちゃんが切り盛りする喫茶店が舞台。でも、全部で六章あって章ごとに「わたし」という一人称の人物が入れ替わって話が進んで行きます。ですから、短編集みたいな仕上がりになっています。そして各章のタイトルは楽曲名になっていて、喫茶店に来るお客に合わせてえっちゃんが店内にその曲を流してコーヒーを入れるというところが共通しています。そういえば映画ではお店が火事になってしまいましたが、その章のタイトルがジミヘンの「FIRE」とかDeep Purpleの「BURN」とかだったらどうしようと思ってしまいましたが、それは杞憂でした。火事のエピソードは映画だけのもので、原作にはありませんでした。

 就職活動が上手くいっていない学生の大学生・イマケンが一人称になっている第二章は映画の中にはありませんでしたが、ここで「太宰とかカミュとか開高といった古くて重くて美しい純文学と仲良しになって、ますます気持ちを曇らせて行ったのだ。」とありました。私自身も就職活動でなかなか内定をもらえない経験をしていますが、そうした時にどうしてなのか太宰治の「人間失格」を読んでしまい、イマケンと同様にますます気持ちを曇らせたことがあります。小説の中の人物と、自分の経験がここまで被るというのもなかなかない事なので何となく嬉しい気持ちになりました。

 映画では笑福亭鶴瓶扮する谷さんが一人称の章もありましたが、ここは結構忠実に再現されていました。谷さんは大阪の子会社に転勤を命じられるのですが、これは体の良いリストラです。谷さんは独身で「私の人生から『会社』という居場所をなくしてしまうと、あっという間に、孤独で暇な独居老人の出来上がりだった。」と苦悩します。私自身にも十分にあり得ることで、恐れおののきましたが、独身かどうかにかかわらず「会社」という居場所があるということはその人にとって重要なのだと思いました。

 映画を先に見てしまいましたから、「喫茶店の初老の女性」と読んでもすぐさま吉永小百合をイメージしてしまいましたが、これが映画を観る前だったらどのような女性を想像したのか思い当たりません。それほど吉永小百合のインパクトが強かったのかもしれません。著者の作品はエッセイと小説でずいぶんとギャップがあるのですが、本書は小説の中にエッセイの要素が散りばめられていて、少し印象の違う一冊でした。
  


Posted by D10催情剤 at 11:36