あーしゃんの日記 › 2015年02月
もっと早くわかっていればね。
2015年02月05日
僕の場合は小学5年の時、帰りのホームルーム中に急に目の前が真っ白になり、気持ち悪くなり、脈拍が跳ね上がった。
まさに心筋梗塞だと思った。
1分間の脈拍は、220から240。
信じられないだろうが。
僕の場合は、胸の痛みと息切れはなく、
とにかく爆発しそうな脈拍に驚き、
先生に言い、保健室へ。
そして、保健室の先生も僕の信じられない
頻脈にビックリし、救急車を呼び、親を会社
から呼んだ。
僕は、救急車へ乗せられたが、まわりには
「大丈夫だよ。」
と言っていたのを覚えている。
そして、真っ先に心電図を装着し、点滴を打ったが、心臓の波動には異常がない。
しかし、1分間の脈拍は、相変わらず220から
下がらず4日間が過ぎた。
たまたま野球部で、当時は信じられない
運動量をこなしていたから、心臓は、
通常の子供より丈夫だったようだ。
子供や老人ならもたないと言われ、
しかし、意識レベルや心臓鼓動はしっかり
していたため、様子を見るということに
なった。そして、4日目、急にピタッと心臓
頻脈は治まった。
とにかく原因不明と当時言われ、
だけど、医者からは
「気にするな。運動もしてよい。」
と。
でも、脈拍がこれからも上がった場合は、
頸動脈を抑えろと言われた。
言われた通りにすると5分間くらいで、
頻脈は収まった。
これが、今思えば、脳波の異常や脳内ホルモン異常からくるパニック障害だったのかもしれない。
結局、それから、動悸との人生を歩むことに。
動悸をあまり意識しないで済むようになったのは、30歳を過ぎてからだ。
小学生当時、根本的な治療が受けられていたなら、もう少し違う人生を歩めたかもしれないと思う。がしかし、そんなこと今考えても仕方ない。そして、今更、パニック障害の一部の原因として、脳内の分泌液が考えられると言われても、今更?だけの感想。本人の直感としては、脳内ホルモンなどの分泌液が原因だとは、薄々気づいていた。やはり、自分の身体は自分が一番よくわかるとはこのことだ。
でも、当時の医者からの
「気にするな!」
のアドバイスは、意外とよかったのかな?
生活は制限されなかったし。
うーん、でも、脈拍が220で、原因不明と
言われた辺りから僕の医者への不信感は
始まった。医学は、万全ではないと早くも
悟ったというか。
言いようもない不安感と医療の限界の悟り。
みたいのを11歳の自分は感じたのかな。
一種の諦め。
難しい。
僕は、悩むことで、人として生きられるのかもしれない。
まさに心筋梗塞だと思った。
1分間の脈拍は、220から240。
信じられないだろうが。
僕の場合は、胸の痛みと息切れはなく、
とにかく爆発しそうな脈拍に驚き、
先生に言い、保健室へ。
そして、保健室の先生も僕の信じられない
頻脈にビックリし、救急車を呼び、親を会社
から呼んだ。
僕は、救急車へ乗せられたが、まわりには
「大丈夫だよ。」
と言っていたのを覚えている。
そして、真っ先に心電図を装着し、点滴を打ったが、心臓の波動には異常がない。
しかし、1分間の脈拍は、相変わらず220から
下がらず4日間が過ぎた。
たまたま野球部で、当時は信じられない
運動量をこなしていたから、心臓は、
通常の子供より丈夫だったようだ。
子供や老人ならもたないと言われ、
しかし、意識レベルや心臓鼓動はしっかり
していたため、様子を見るということに
なった。そして、4日目、急にピタッと心臓
頻脈は治まった。
とにかく原因不明と当時言われ、
だけど、医者からは
「気にするな。運動もしてよい。」
と。
でも、脈拍がこれからも上がった場合は、
頸動脈を抑えろと言われた。
言われた通りにすると5分間くらいで、
頻脈は収まった。
これが、今思えば、脳波の異常や脳内ホルモン異常からくるパニック障害だったのかもしれない。
結局、それから、動悸との人生を歩むことに。
動悸をあまり意識しないで済むようになったのは、30歳を過ぎてからだ。
小学生当時、根本的な治療が受けられていたなら、もう少し違う人生を歩めたかもしれないと思う。がしかし、そんなこと今考えても仕方ない。そして、今更、パニック障害の一部の原因として、脳内の分泌液が考えられると言われても、今更?だけの感想。本人の直感としては、脳内ホルモンなどの分泌液が原因だとは、薄々気づいていた。やはり、自分の身体は自分が一番よくわかるとはこのことだ。
でも、当時の医者からの
「気にするな!」
のアドバイスは、意外とよかったのかな?
生活は制限されなかったし。
うーん、でも、脈拍が220で、原因不明と
言われた辺りから僕の医者への不信感は
始まった。医学は、万全ではないと早くも
悟ったというか。
言いようもない不安感と医療の限界の悟り。
みたいのを11歳の自分は感じたのかな。
一種の諦め。
難しい。
僕は、悩むことで、人として生きられるのかもしれない。
Posted by D10催情剤 at
16:23
人を絶望から救ってくれるのは美しい思い出だけである
2015年02月02日
かのフロイト博士は言った。”夢は現実に起きたことの表出であり、想像の産物ではない”と。だから、夢が筋書きのないドラマになるのは無理からぬことなのだろう。
今朝、奇妙な夢を見た。喫茶店のようなBARのような、いずれにせよ、何か落魄した廃墟のような建物の中に男と女がいる。男は私で、もう一人は、今朝のつぶやきでも触れた通り、昔好きだった女だ。女は椅子に深く腰をかけて、俯き、まるで、そうするしかこの無聊な空気を払うことができないと言うみたいに、携帯電話のボタンに親指を這わせていた。私は目の前の女に語りかけた。
「あれ、スマホに替えたんじゃなかったっけ?」
「うん、実は、忘れたい人がいてね、年下の子なんだけど、生まれて初めて本気で愛そうと思ったの。でも、私にはできなかった」
「へえ、彼氏いたんだ」
「うん」
そう言うと、女は突然椅子を蹴って立ち上がり、廃墟の外へ駆けて行った。私はその後を追った。外には、荒涼とした街並みが茫洋と拡がっていた。ブラマンクの風景画のようだと思った。私は女に追いすがり、その手を取った。
「待ってよ」
「……」
「俺たち、もう一度やり直せないかな?」
女は涼しげな笑みを浮かべた。そして、口をゆっくりと開いた。風景が瓦解したのはその瞬間だった。
目覚めると、いつもの無味乾燥な日常がそこにあった。陽光の滲んだ部屋、汗に塗れた手足、外では耳を聾する蝉の声が間断なく鳴り響き空気を震わせていた。不思議と嫌な感じはしなかった。枕元のスマートフォンを何気なく取って写真のアルバムを開いた。その瞬間に女の顔が出てきた。2年前に二人で食事をした時の写真だった。
女は笑っていた。私は女の笑顔が好きだった。あの笑顔を見ることはもう二度とないが、その残像が消えることは決してない。今までは嫌な思い出でしかなかった。違う恋で塗り替えることも儘ならなかった。だが、今となっては美しい思い出だ。
この先、辛いことや悲しいことが起こった時、またあの女の顔を思い出すだろう。人を絶望から救ってくれるのは美しい思い出だけなのである。
今朝、奇妙な夢を見た。喫茶店のようなBARのような、いずれにせよ、何か落魄した廃墟のような建物の中に男と女がいる。男は私で、もう一人は、今朝のつぶやきでも触れた通り、昔好きだった女だ。女は椅子に深く腰をかけて、俯き、まるで、そうするしかこの無聊な空気を払うことができないと言うみたいに、携帯電話のボタンに親指を這わせていた。私は目の前の女に語りかけた。
「あれ、スマホに替えたんじゃなかったっけ?」
「うん、実は、忘れたい人がいてね、年下の子なんだけど、生まれて初めて本気で愛そうと思ったの。でも、私にはできなかった」
「へえ、彼氏いたんだ」
「うん」
そう言うと、女は突然椅子を蹴って立ち上がり、廃墟の外へ駆けて行った。私はその後を追った。外には、荒涼とした街並みが茫洋と拡がっていた。ブラマンクの風景画のようだと思った。私は女に追いすがり、その手を取った。
「待ってよ」
「……」
「俺たち、もう一度やり直せないかな?」
女は涼しげな笑みを浮かべた。そして、口をゆっくりと開いた。風景が瓦解したのはその瞬間だった。
目覚めると、いつもの無味乾燥な日常がそこにあった。陽光の滲んだ部屋、汗に塗れた手足、外では耳を聾する蝉の声が間断なく鳴り響き空気を震わせていた。不思議と嫌な感じはしなかった。枕元のスマートフォンを何気なく取って写真のアルバムを開いた。その瞬間に女の顔が出てきた。2年前に二人で食事をした時の写真だった。
女は笑っていた。私は女の笑顔が好きだった。あの笑顔を見ることはもう二度とないが、その残像が消えることは決してない。今までは嫌な思い出でしかなかった。違う恋で塗り替えることも儘ならなかった。だが、今となっては美しい思い出だ。
この先、辛いことや悲しいことが起こった時、またあの女の顔を思い出すだろう。人を絶望から救ってくれるのは美しい思い出だけなのである。
Posted by D10催情剤 at
17:24