あーしゃんの日記 › 我慢と忍耐は似てるけどどこか違うような

我慢と忍耐は似てるけどどこか違うような

2014年12月05日

幸福追求には精神の安定が不可欠。言い変えれば、不安定なときは何やってもことごとく外しまくる。幸福追求に優劣はないと思うが、精神の安定に資する行動を最優先に行うべき。まず、仕事を溜めない。課題は最優先順位で休むことなくこなす。仕事は忙しいからといって償却できないため、期日が近づくほど精神に悪影響を及ぼす。また、学習は迅速にこなす。中断しない。事実に集中できているときならともかく、何らかの事情で評価に気をとられていると、再開の足取りが重くなる。それもまた精神に悪影響を及ぼす。あとは、1時30分から7時まで以外の睡眠をなるべく遠ざけること。過度な睡眠は、悪影響。仕事や学習だけでなく、武道に対する影響も同様。時間が空けば空くほど、再開時の精神不安は事実上大きくなる。睡眠だけでなく、排泄や食事の中断も同様。思考侵奪も同様。つまり何がいいたいか。精神安定との調和の観点から、忍耐が必要なことの方が多い。以上のように、止まっているより継続する方が安定することが通常。どれだけ、エコモードで継続し続けられるか。繰り返すが、精神不安が何よりもやっかいなことを知っているからこその、忍耐だ。息の切れる感じからの解放感も喜びだしな。

 1204②(姿勢・過去と比較しない):じぶんは、「今、じぶんが何を考えているか」でわかる。だったか。エマソンとか、エウレリウス?だったかもそんな感じのコトを言っている。と、この前読んだカーネギーの著書にも書いてあったような。ぼくは、じぶんが思考侵奪状態から覚醒した時、何を考えていたか思い返すことにしている。例えば、うまくいっている時、過去からの伸びしろを図って喜んだりしている。論外。今のじぶんが事実であって、それ以外はない。仮に、今のじぶんが強いとしたら、それは当然のことなのだ。そんなことを鼻にかけるなんてくだらない。それは逆も然りで、うまくいかない時、過去がどうだったとか、考えるのも論外。仮に、今のじぶんが弱いとしたら、それもまた当然。冒頭のそれとの関係で、何が言いたいのかといえば、過去との比較なんてするなと。今をただ、喜べと。ぼくは生きていると同時に、死んでもいるわけだが。得るたびに生は安らかになり、失うたびに死は安らかになる。変化なんてどうだって捉えられるんだから、過去がどうだとか、どうだっていいんだ。寸分の思考すら、つまんないことにつかうなよ。



Posted by D10催情剤 at 11:38